そのあとの大騒動ったら、みなさんがご想像する通りだ。
翌週月曜日から私の電話はなりっぱなし。もちろんA先生からも。当然出ないけれども。
そして、私は私の書類を運び出したあとすぐに、うちと取引があるところ、今後もしかしたらうちにきてくれるかもしれないと思っているところにだけ、移転しましたということだけのFAXを一斉に流していた。
また何かあったのかい?と心配するお客さんに別にもう独立したくなったので、とだけ説明して終わった。
ところが、電話番号もFAX番号もある顧客名簿を置いてきているから、当然、あちらの事務所もそこの顧客たちに一斉にFAXを流し始めた。
どういう内容かはっきりは聞かなかったが、お客さんが教えてくれた。
要は彼が以前から言っていた、本来父のお客は息子である自分が事業承継者である、だから佐々木のところには行くな、自分のところですべての今までの業務を引き継ぐというものだ。
それはそれで構わない。選ぶのはお客さんだ。
私は私を選んでくれたお客様を大事にしていけばいいのだ。
それだけのことだ。
もう、いい。
やっとこのしがらみから解放だ。
普通の新人行政書士がまったくあてもなく開業することから見れば、ずっと恵まれていた。
行くあてもあったし、以前と同じような業務をすることもできた。
さらに大先生にもA先生にもずいぶんといろんなことを教えてもらった。
感謝しかないと思った。
だけど、お客さんには混乱をさせた。
まったく来てくれる自信はなかった。
いや、いいさ。また前みたく、飛び込みで営業して歩けばいいのだ。
毎日、毎日呪文のように辞めろ、向いてない、と言われるよりはずっと気楽なもんだ。
そしてまた、がむしゃらに働き始めた。
今度は営業のターゲットをトラック販売のディーラーの営業の人に絞った。
機動力を武器に、ディーラーさんに同行していった。
なぜなら、その頃の私の頭の中を占めていたことは「営業」だったからだ。
家一軒分くらいする金額のトラックを普通に売って歩く彼らなのだ。
どうやったらあんな高いものを買ってもらえるんだろう。
だから、彼らにまずは話を聞きにいった。
そして、一緒にお客様のところに行くときに同行させてもらった。
当時は、士業といえば事務所を構えたら、お客さんが来るものだった。
でも、私は自分から動いた。出向いていくことの方が多かった。
現場を見ながらの方が話が早かったし、その場で解決できることも多かったからだ。
お客さんのところに行きディーラーさんとの会話を聞き、ディーラーさんの動き方を見ていると非常に参考になった。
すぐになんか買ってもらえるものではないのだ。
だからこそ普段からの付き合いが大事なのだ。
そこから、私は、運送会社の御用聞きになろうと思った。
わけのわからない質問も頼み事もいっぱいあった。でも、全部受けて、調べて報告した。
私でできることであればお金をもらわなくてもやらせてもらった。
私が武器になるものとすれば、当時は若さと機動力と女性ということだ。
物はあまり知らない、経験値もない。だから本来こういう知識を売り物とする業種としては競争をすれば負ける。
とにかく、あれ?これってどこに聞けばいいんだろう、と思ったときにまず一番に私の名前を思い浮かべてくれるようにとにかく動いた。
お金もらわなくてもやらせてもらえるだけで十分だと思った。
だから単価も下げた。今までの業界にはないような金額でやり始めた。
たぶん、価格競争を引き起こし、行政書士業務の料金を下げたのは、私だ。
そしてディーラーさんを接待し、できるだけ会話をたくさん持てる機会を持った。
できることはどんどんやっていった。面白いようにアイデアが湧き始めていた。
(続く)
佐々木ひとみ