この事業停止での業界の衝撃は大きかった。
本当に運輸局もやるのだという本気度が見えた。
みんなの意識が変わったのもこの瞬間だった。
そこからまた、あちこちで呼ばれるようになった。
講演も会社へのコンサルも頻繁に依頼が来るようになった。
中堅企業もしかり、今までにないことをしなければならないとすれば勉強しなければならない。幹部向けの講習会の依頼がどんどん来た。
この改正はみんなにとっては本意ではなかっただろうが、結果、経営に一生懸命な心ある中堅企業の経営者が敏感に反応してくれた。
おかげで、これからの時代に対してようやくやりたいことができるようになった。
風が吹いたのだ。
ようやく私の言っていることを聞いてもらえる時代になった。
でも、これも私一人の力ではない。
私のやっていることに賛同してきてくれたたくさんの仲間が支えてくれたおかげだ。
運送事業者の仲間も、それ以外で運送事業に携わっている仲間もどちらもだ。
工藤商事の工藤社長という大事な仲間がいる。彼とは同じ年でずいぶん昔からいろんな縁があり、都度都度顔を合わせることがあった。
3度目くらいに顔を合わせたときには私はもう年月が経っていてそのときには気づかなかった。が、ほどなくして、あ、あのときの!となる。
苦労を重ねてきている彼は、当然のことながら会社経営は利益優先だった。
しかし、セミナーに来て、同友会にも参加をして、様々な勉強をしていくうちに、大きく変わっていった。経営指針の中で『安全』ということを大きく掲げたのだ。
私は彼の変化を見ていくことで、学ぶことの大切さと、学ぶことでいくつになっても人間は変わっていくものなのだとあらためて思った。もちろん私も、だ。
そして、これからの時代、安全は当たり前、関係のない命を巻き添えにすることなぞ論外であるが、働いているドライバーの安全も考えてあげてほしいという私の願いがきっとみんなに届くであろうという確信に変わっていった。
私は彼のような経営者の仲間を増やそう。
そういった仲間である顧客を増やしていこう、そう思った。
まずは理解をしてくれるだろうと思う運送事業の経営者に声をかけていった。
そしてできたのが運送事業経営塾だ。
仲間ができると本当に欲しいものが見えてくる。
そこに自分が近づいていき、必要とされる存在になっていこう。
そのための情報を収集し、運送業の中に入り込んでいった。
また、年2回行われる試験対策講習会の資料を毎回毎回作っていくうちに国交省がこれからやっていきたい方向性も試験の出題傾向から見えてくるようになった。
おそらくこのようなことを運送事業に期待しているのだろうということが出題の中から垣間見えるのだ。
そういったことを運送事業者に講演で伝えていった。いずれこうなるだろうから、と。
都度、事業者側からは愚痴とため息、そんなことできっこないという苦情を頂いた。
しかし、万が一事故などが起きたとき、労働者から訴えられたとき、には当然法律で裁かれるのですよ、と『伝える』ことが大事なのだ。私は彼らを守るためにいるのだから。
物流新聞に私の名前が頻繁に掲載され、佐々木という名前が浸透していった。
結果、相見積もりは気がついたら無くなっていた。
値決めもこちらの思う通りにさせていただくことができるようになった。
もちろん今までの顧客にも開業20年を超えたときに20年前から据え置きだった報酬料もすべて値上げさせてもらった。(なんと20年前の報酬金額でずっとやっていたのだ。)
ここまで大変泣かされたが、今では貸倒れも相見積もりも値引き交渉も一切ない。
運送事業をけん引するためには情報収集力も必要だ。
そのために利益は使うことにして、またそれを彼らに還元する。
そうやって私は生きていくことにしたのだ。
高いのが嫌だというのであれば安かろうのところへ行ってくださいと言うだけだ。
しかし、今、私はこれで満足しているわけではない。
本当に運送事業者が必要としているものは人材なのだ。
この人材育成のためにはまた相当な時間を割かねばならない。
私には人生の最終目標として、まだやらねばならないことがあるのだ。
時間だけはみんなに平等だ。
昨年今年と、この時間の配分を間違えてここ最近ずるずると来た。
少し急がねばならない。
(続く)