運送会社は見た目よりも中味が深刻なことがまま多い。
でも、ある意味みんな周りはライバル、いつ仕事を取られるかわからないから、うかつなことは言えない。
この頃には私は、「なぁ佐々木さん、他の運送会社はどうしているんだい?」と相談されることも多かった。他の会社はこうですよ、といったところで社長はそうか、というけれどもなかなか今の状況を変えられる人は少なかった。
なぜならば、運賃があり得ないほどの価格破壊を起こし、赤字を覚悟で仕事を受けなければならない業界となっていたからだ。
よく利益も出ないのに経営を続けているな、と思う会社は山ほどあった。
変えたくても、変えるための財源もなければ時間もない。そんな余裕すらなかった。
この頃から運送業界はますますひどくなっていった。
でも会社のレベルは様々だ。もちろんがんばって利益を出している会社もある。
がごくわずかだ。長時間労働が当たり前のようになり、死亡事故も多発していた。
私は今までこれから会社を作って運送業を取ろうとする人たちをメインで考えていた。
しかし、作っても作ってもつぶれていく。そして懲りずにまた作って運送業を始めるのだ。
これからの私の仕事としては自身で作った運送会社をどうやって成長していってもらうかの手伝いをしなければならないのだ。が、彼らには時間的余裕も金銭的余裕もなかった。
そして、今の段階で私ができることと言えば、零細企業の手の足りないところを代書して提出するというのがやっとだった。しかしこれでは人がある程度雇えるようになると業務の委託はされなくなる。ましてや、現段階でもありがたいと思ってお金を払ってくれているのかどうかというと答えは否だ。
だとしたら、自分の付加価値を高めるしかない。運送業にとって必要な存在と言われるために私自身ももっと運送業を研究し、応援する知識をつけようと思った。
そして、そこにいる眠たい目をこすりながら運転している現場の運転手も、お金のやりくりで毎月頭を痛めている経営者も、なんとか助けたい。社長はもちろんのこと、毎日15時間も16時間も現場で働いている運転手さんたちを幸せにしてあげたいのだ。
これが私の地域貢献だった。答えは出た。北海道の物流を助けるために動くのだ。
そのためにやらねばならないことを経営指針で考え、計画を立てていった。
経営指針ではまた、自身が身を置いている業態の分析をさせられた。
これがあとで非常に大事な転機のきっかけとなる。
その頃、東京でのセミナーに北海道物流開発の斉藤社長(現会長)からよく誘われていた。
彼は若いけれども非常に頭の切れる人物で、常に先先を見ている経営者だ。
札幌商工会議所の若手が集まる勉強塾があり、そこの顧問をされている知野税理士から紹介されて知り合うこととなった。
彼が北海道の物流事業者の若手ホープと抜擢され国交省へ行くようになり全国のネットワークができた。それに伴い、いろんな取組みをするようになり、特に運送事業の明日を考えるというような研究会を作っていった。そこにはもちろん国交省の人間も来ていた。
そこに頻繁に出かけていきいろんな情報を見聞きさせてもらった。
ひしひしと感じたことは、平成に入り規制緩和を行ったことで運送業が予想以上に増えすぎてしまったこと、それを今度は増えすぎた運送会社を排除していこうとしているということだった。
これは大変だ。あと10年もしないうちに運送事業者にとってさらに逆風が吹くようになる。
私の取組みも急がなくちゃ、と思った。
当然、新規参入にも規制がかかってくるだろう。簡単に新規の免許は取れなくなると判断した。だとしたら今の業務の大きな収入源となる新規の免許申請も激減するだろう。
自身の収入のこれからを考えたときにもう新規に力を入れるのは今の時間の半分、いや将来的には3分の1くらいにして、取り組むべき市場として中堅企業を視野に入れようと思った。
しかし、どうやって中堅企業の人たちと仲良くなるのだ?
しかも、そこと仕事をするって何を提供すればいいのだろう。
今の私の業務では何一つ提供できるものはない。
今持っている武器とすればセミナーしかない。しかし、これはこれで開業して間もない事業者は自分たちの業務を軌道に乗せることでいっぱいでセミナーなぞ来やしないし、来るのはそれなりに余裕のある事業者だけれどもそこの社長はなかなか来ない。
当時の運送会社の社長はセミナーなぞあまり興味なく(注;決して全員がそうということではないので誤解なさらないようにしていただきたいが)、またそういうものに出るのも、トラック協会の行事くらいしかなかった。自主的にやっているうちのようなセミナーに来るのは中間管理職ばかりだ。彼らに決定権はない。
また、中堅企業はそれなりの人材を抱え、行政書士がやる業務は社内で完結でき、代書などをする業務の私どもなど必要ない。セミナーに来たとしてもそれで終わり、業務には繋がらない。
どうやったら北海道の中堅企業とつながっていくことができるのだ。
ひたすらひたすら考える日々が続いた。
(続く)
佐々木ひとみ