『私はなぜ今ここに…』 第9話

 

この話は過去にどんなに気を許した人にも話をしなかった。23年経って初めて話ができる。

本当にショックだったが、20数年も経つと本当にあったことなのかさえ、わからなくなるくらい遠い記憶だ。

 

当時の葛西大先生は立派な方だった。

私が大人になってから初めて尊敬したいと思った大人だった。

お客様でも大先生のファンは多かったと思う。

 

だからこそ、大先生が好きだったお客様たちは、大先生の名前を利用したり、うちが跡を継ぎますなんて騒動はいやだったのだろうと、それは理解できる。

 

大先生は、

どんな方が来ても、まったく態度を変えない。偉そうなふりもしない。

一介のドライバーが来ても丁寧に対応し、偉い議員さんが来てもへつらったりもしない。

 

常に穏やかで静かな微笑みの人だった。

 

今は、私はそんな風にできないけれども、きっと開業して事務所を持ったらいつかはそういう風になりたい、とずっとあこがれた。

 

でも、伯母に言わせると若い時は相当激しい性格の人で声を荒げることもあったわよ、と言っていた。厳しい人だったと。

それを聞くとなおさら私もいつになったらそういう風になれるだろうとわくわくした。

 

いつかはそうなれるよう、今を一生懸命生きようと決めた。

 

だからこそ大先生の名前を使っての営業はしたくはなかったし、ささやかな私のプライドだったか、そういう葉書を出してもらいながらも、自身の名前で勝負したいと思った。

 

9月のまだ暑さの残るときからスタートして、3カ月は私の頭の中のデータに入っている会社を訪問しただろうか。ぼちぼちくる仕事をこなしながら、ただひたすらとにかく訪問して営業した。

 

旭川も、室蘭も、ニセコ倶知安も、千歳も、小樽も、1日かけて回った。

気がついたら、もう木枯らしが吹いていたある日。

 

苫小牧のお客さんを大先生のときに受け持っており、そこに挨拶に行こうと思い、まだその当時、そこの土地が沼ノ端という名前もない頃にただただ何もない原野の中を向かった。

 

しかし、どうやっても見つからない。何度も何度も同じところに出てしまうのだ。

夜もとっぷり暮れ、だんだん怖くなってきた。

 

昔、母がたくさん児童用図書を買ってくれたが、その中でも特に大好きだった「てんぐのいる村」という本のように、何か違う世界にスリップしてしまったような感覚さえあった。

よく夜にお邪魔するときなど迷ったりすると、この本のせいで、私は未だに時々違う世界に迷い込んでしまうような感覚を覚えるときがあるのだ。

 

お邪魔するだけだから先方には迷惑をかけてはいけないと思い、できるだけ訪問前に電話を入れることは避けていたが、もう19時は過ぎていたと記憶している。

もうあたりは真っ暗。帰ってしまったかもしれない。

 

一応電話してみてダメなら帰ろう。そう思い、当時の初期の真っ黒で分厚い重たい携帯電話を取り出し、かけてみた。

 

「はい、○○運輸です。」(あ、出ちゃった。)

「行政書士の佐々木と申しますが」

「・・・はい?」

「あの・・・一度ご挨拶にお伺いしたくて近所まで来たのですが、会社がまったく見つけられなくて何度もぐるぐるしているうちにこんな時間になってしまいましたが、もうお帰りになりますよね。」

「いえ、まだいいですよ。待ってますからお越しください。」と優しい女性の声。

 

ありがとうございます、また胸にじんと来た。

こんな遅くにしかももう帰る支度をしていたのだろうと思う。

こういう人とのふれあいにどんどんこの業界の人たちへの愛情が深まっていくことになる。

(続く)

 

佐々木ひとみ