第6話
行政書士を開業するにあたって、まず一番先にしなければならないのが、行政書士会への登録だ。当時でも20万近くした。なぜ、そんなに登録だけでお金を払わなければならないのか未だに不思議だ。
また登録をしたら、すぐに開業して仕事ができるのだと思っていた。
が、しばらくかかるという。伯父の葬儀が8月末だったから9月に入って準備をし始めたがさっぱりいつになるか見当もつかない。でも、まぁいい。
次男の行政書士A先生は、佐々木さん連名ではがきを出そう、お客さんの住所わかるか?と聞いてきた。まずの私の仕事はお客さんのリストを作ることになった。
当時はパソコンなんてものはない。仕事はすべてワープロだった。
別海の先生の頃にようやく手書きからパソコンに変わってきた時代だった。
フロッピーディスクなんてものに記録をしておくのだが、これがまた昔のシングルレコードみたいに大きかった。(記憶がある)
別海の先生時代にクラブ活動の時間というのがあったのだが、私の受け持っていたのがタイプクラブという地味なクラブだった。(昔のガシャンガシャンってやるやつだ。)
昔の英文タイプのキーボードを押して紙に英語を印字していくのだ。
当時はすごく嫌々ながらやっていたのだが、そのタイプを教えているうちにそのキーボードがワープロのそれと一緒だったことでまったく配置に苦労することなくブラインドタッチもできるようになっていた。(幼少期からのピアノのおかげもあったかもしれない。)
さて、
お客さんのリスト…
どこに行ったらあるだろう。着の身着のまま出てけと言われたから資料もなんにもない。
まずはトラック協会に行ってみた。そしてトラック事業者の名簿ありますか、と聞いたらその当時の方がこれですよ、と言って名簿を分けてくれた。いい時代である。
開いてみたら頭の中にあったお客さんの名前があるある。
夢中になってマーカーを引いた。
それをまずワープロにすべて打ち込んだ。その頃から結構機械の機能をフルに使うことが苦ではなかった。技術職の父親に似たのだろう。感謝だ。
アイウエオ順や住所別にソートをかけたりして自分なりにデータを作った。
そしてラベルを作り、A先生が作ってくれた開業準備室の挨拶の葉書を封筒に入れて、早速お客さんに送った。
そのご挨拶の葉書には、A先生のほかに当時をときめく札幌の行政書士の大先生たちの名前が後見人として名を連ねていた。最初見たときはそれがどういうことなのかもわからないくらい「ど素人」だったが、今考えると空恐ろしいくらいのことをしたものだと思う。(いや、私がやった訳ではないのだが。)
そのあとほどなく、後見人として名前をお貸し頂いたT先生、S先生、F先生などが業界の集まりに来ることがありA先生から「佐々木さんも行こう」と言われ、まだ登録も終わっていない分際でついていったことがある。
A先生はこれから開業する佐々木先生です、と紹介してくださって、私はみなさんに改めてお礼と開業のご挨拶をさせていただいた。
みなさんから「がんばってね」と暖かい言葉等たくさん頂いたが、今でも覚えているT先生の言葉がある。この先生は当時在留手続きの草分的存在の先生だった。
『佐々木さん、同じ業界の中で同じ仕事をして奪い合うナンバーワンよりオンリーワンになりなさいね』と言われた。当時、何も知らない私でもこの言葉は大きく響いた。
私の行政書士の仕事への取り組みのベースにはこの影響が非常に大きい。
誰もがやらない、でも必要とされている仕事とはなんだろう。
この精神は今でも大きく、誰もができない業態への飽くなき追求となっていく。
(続く)
佐々木ひとみ