私はなぜ行政書士になったのか。
なりたくてなったわけではない。成り行きだ。
30歳までは学校の先生をやっていた。中学校の養護教諭だ。
先生になりたくて、ひたすらそれだけを目指して、教育大学に入った。
(ここの経緯はまたいつかお話することとして)
養護教諭は一校に一人。だから倍率も高い。
当時遊ぶことに忙しくて勉強もしない私は当然採用試験も受からない。
産休先生を2年ほど経験してようやく札幌から一番遠い北海道の東(地図で言うと右側)根室という地域の学校に採用された。
それほどまでに苦労(というほどでもないが)をして、合格してようやくこれから教員の道をしっかりと。。。と思ったのだが、アマノジャクな私はなぜかこの瞬間に気持ちが萎えてしまった。
なんだか、ずっとこのまま、この土地で、、、
毎年これからは同じことの繰り返しをし続けるんだ、、、
なまじっか、産休先生を経験していたのも悪かった。見えちゃっていたのだ。
本当に大事なことは見えてはいなかったのだけれどもそのときはそう思ってしまったのだ。
そうは言っても、初年度、次年度、必死で仕事をする。
子ども達とも本気で向き合った。いい時代だった。
(今でも40代になった彼らからは連絡が来る。うれしい限りだ。)
でも、年月が流れるにつれて、なんとなく物足りなさとこの業界に疑問を感じてきた。
私はこの世界だけにどっぷり浸かっていていいのだろうか。もっと世の中のほかの世界も見てみたい。そう思い始めるといてもたってもいられない。
辞めよう。この激しい胃痛と胃潰瘍もきっと治るに違いない。
札幌に帰ろう。
そして、自分自身の力をもう一度世間で試してみよう!
なんの根拠もプランもないまま…辞めた(笑)
当時、母方の親戚は教員の伯父が二人いて、なんとか札幌に戻そうと一生けん命に動いてくれていた。が、そんな簡単に行くわけもない。
誰にも相談せずに辞めたので、母は呆れて怒り狂う。父は黙っていた。
伯父も呆れて親戚の縁を切られそうになる。なんとか侘びを入れに行って収めた。
さて、なにをしようか。
父のすぐ上の姉が、ブラブラしているんだったらそのおばの旦那である伯父さんの事務所手伝わないか、と話を持ってきた。
当時、私はインテリアコーディネーターになりたかったので、まったく興味を示さなかったが、まずは食べていくためには働かなければならない。
そんな成り行きで伯父の行政書士事務所へ入った。
その行政書士とやらの仕事がなんなのかもさっぱりわからない。
なんだかつまらなさそうだな、、、と思いながらも伯父が良くしてくれるから、と説得されて行くことになった。
ところが、伯父は最初、教員時代の給料と同額の給料を払うと言ってくれていたのだが、当時の事務所にはこわいこわい経理のお局さまがいた。(続く)
佐々木ひとみ