『私はなぜ今ここに…』 第33話

 

この間も自主開催していたセミナーでできた仲間ともよく飲みながら、何が困っているのか、何を知りたいのか、そしてこれからの運送業をどうしていきたいのか、などを熱く語る日々が続いた。

 

話すうちに徐々に何かひとつのテーマでセミナーをやったりすることはもう無理だと思った。そのテーマに興味のあるレベルの人しか来ないからだ。これからはまず模範となるような運送会社の仲間を探そう。そう思った。6年間続けたセミナーは終了させた。

しかし、それが後々の運送事業経営塾のルーツとなる。

 

そうこうしているうちに風が吹き始めた。

 

平成20年には札幌地区トラック協会が顧問行政書士なるものを検討し始めた。そこには札幌で名だたる運輸の専門と言われている行政書士の先生たちの名前が挙がった。

 

大先輩たちがたくさんいる中でまさか私のところにそんな話が来るなんて思ってもいなかったので、その依頼が来たときには驚いた。てっきり他の先生たちの誰かがなるのだと思っていた。

 

同友会の地区会活動の中で一緒に副会長をさせていただいていた武田運輸の武田社長が、あいつは同友会でも何も得することはないのに一生懸命やっている、(私が)厳しいことも言うが社長連中にはそれくらい厳しいことを言える人の方がいいだろう、と推してくれたと聞いた。当時は社会保険すらも入っていない会社が大半だった。

武田さんにはいろんなところで助けていただいたうえに、そのようなことを言って頂き本当に感謝しかない。

 

そうして私は札幌地区トラック協会の顧問行政書士としてこの業界と関わることとなった。

 

さらに2年後には札幌地区トラック協会、その1年後には北海道地区トラック協会と北海道トラック交通共済協同組合が組み北海道7地区の運行管理者の試験対策をするということになったときも、以前からの運行管理者試験対策講習会をやっていたことが評価され、講師となった。

 

北海道は広い。朝一からの講義となると、前泊をしなければならない。

往復で2日間はつぶれる。間の講義日は、一日中しゃべりっぱなしだ。でも、これで運送事業の現場にいる人の意識が変わればと思い一生懸命話をした。

そんな風に現場の方々に役に立てるだけ本望だ。うれしかった。

 

そうこうしているうちに平成25年、運送業にとって大きな法改正があった。

今でこそ働き方改革という言葉を知らない人はいない時代となったが、まだこの当時は運送業は働いてなんぼ、走ってなんぼ、という世界だった。

 

労働時間を短縮していくという大きな法改正は運送事業者から激しく抵抗された。

運賃が上がらない限り、たくさん走らないと人件費がまかなえないのだ。

車両にかかる費用は莫大だ。燃料だって気の遠くなるくらい莫大な費用としてかかる。

車検だ、税金だ、保険だ、と次々と経費がかかる中で人件費が当然のように下がっていた時代だ。なのに、今度は労働時間の規制がかかることとなった。

 

運送業にとっての労働時間のルールはほかの業種とは全く違う。

特別なルールがあるのだ。

しかし、それすらも当事者たちは受け入れ難かった。

今まで当たり前だと思っていたやり方を変えろというのだから。

 

そんな時代だったことも私にとってはまた追い風になった。

 

まずはそのルールとやらを説明してくれと、あちこちで講演とコンサルタントの依頼が殺到した。札幌で講演をしたのを東北の方々が聞いていて東北に呼ばれ、東北で講演をしたのを東京の方々が聞いていて東京に呼ばれ、と次々と全国のあちこちから依頼が来始めた。

 

この労働時間の改善基準というルールは、試験講習会の際に徹底的に説明をしていたのと、各社に毎日のように呼ばれて乗務日報を見て様々な相談を受けていたため、なんなく解説をすることができた。

 

そして、このルールでの罰則も強化されたが、みんなそんな罰則は適用しないだろうと高を括っていた。翌年、北海道で初の事業停止30日が出るまでは。

(続く)

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